以前からなんとなく思ってたんだけど
投資の結果。それを左右するもの。
それも重要なんじゃないかと思ってましたが、最近は思った以上にモノを言うことなんじゃないかと思うようになっているものがあります。
それは、遠くにある知恵。
遠くにある知恵とはなんでしょう?
端的に言えば、直接は関係ない一見遠くにある無関係そうな知識ではなく・・知恵。
よくわかりませんよね?
自分もスカッと言い切る言葉が思いつかなくて、サンプルからこういうものでしょう?って説明する感じになっちゃいますけど。
以前ついったに垂れ流したものなのですが
一冊の小説と投資本なら投資本を読んだほうが早い。でも千冊の小説と投資本なら小説のほうが重くなると思います。千冊の小説の優位性は簡単にはひっくり返せないと思います。以前も言ったけど無教養が一発逆転のハードルはとことん高くなる。投資は。
— かもめ (@kamomejan) 2016年4月27日
例えばこういうこと。
ロードス島戦記なんか読んでも投資に役立つというかといえばかなり微妙だと思います。投資で結果を出すためにはマーケットの魔術師 (読んでない)でも投資で一番大切な20の教えでも読めばいいに決まってます。
でも、ロードス島戦記を含むであるなら三国志(完全に自分の趣味です)でも含んで千冊小説を読んでいるなら、自分は結構いいセンいくんじゃないかと思うんですよね。(カテゴリ偏っていたら厳しいかもしれない)
投資の実力というものがあるならそれは、投資で一番大切な事を20知ってるだけでは足りないのでは?という思いがあります。
思い返せば・・
投資をしてて、あ、これはこういうことだったのだな?とかふと思うことはけっこう投資から離れた知識から来る知恵と言えそうなものが多いんです。
で、それが結構自分の投資に貢献している気がするんです。
例えば自分は素直に物事を見るって事が大切だよねって思うんです。素直というのは従順ということではなくてありのままです。それが世の中すべての総意と違うものだとしてもありのまま見たらその結論ならその結論を受け入れるのがありのままだし素直。
なんでそんなことを思うかと言えばたぶんブッタとシッタカブッタ みたいなところからかなあとか思うんです。
例えば、これ漫画なんですけど端的には仏教本なんです。(もっと言えば人を語った漫画だしもっと言えば仏教は人を語った宗教)
しかし、投資に仏教が(正確には仏教の教えがですけど)役立つよねーとか言ってもはっ倒されるまではいかないと思うけどまるで説得力を持たないと思うんですよね。
でも、自分の感覚では役立ってそうなんです。
物事を素直に見て、事実をありのまま受け入れるなんて発想は、投資成績をありのまま捉えてその事実を受け入れるべきだという発想になるし、自分が作ったエクセルテンプレはそんな発想も反映されてるかもしれないとか思うんです。
自分は一時ビジネス書をよく読んでいて7つの習慣とかも読んでたりしますが(とても読むのがしんどい本だった)緊急性のない重要なことを優先すべきだってのは投資しててつくづく思いますし、もう興味のあること突き詰めていけばよくね?なんて発想があったりしますがそれなんかはたぶんソースからなんです。
いずれも投資本なんかじゃないです。経済本でもなさそうです。でもそんなものも投資と繋がってくるんです。
そしてそういうのが
投資をしてて上記な記事を書くような発想につながっているんだと思います。
本当にそうかは証明もできないところですけど、自分はこういう事が自分の投資成績をあげているんだと感じているんです。
他にも例えば投資本なんか読んだりすると・・
ああ、これはこういうことだな?ってピンときたりするんです。
たぶんですが自分は投資の本を一つ読むにあたってもそれまでの積み上げがない人に比べてその投資本から読み取れることが多くなるんだと思います。
その他だって知り合いの尊敬できそうなトレーダーさんは剣道をしてたと仰ってました。剣道は武道です。それによって我慢することとか勝負は常に前へ出ればいいもんじゃないとか学べるんじゃないですかね?
そして自分もその剣道の経験がトレードに役立ってますよね?と言えたぐらい・・トレードと剣道のつながりに想像がつくぐらいには周辺知識の蓄積があるんです。
もちろんそのトレーダーさんは自分の言葉に同意してくれましたよ。
なんでか?
多分ですけど、 投資で結果を出すには・・
人への知識や理解が必要だからなんでしょう。さらには自分という存在への理解。
人って人そのものだけじゃなくて、人が作ったものなども。社会や文化、歴史なども。
投資の世界を動かしているのもやっぱり人だから。
投資を行うのは自分という存在だから。
そのような蓄積がないと、投資本ひとつ満足に読めないんです。格言一つとっても読み間違えるはずです。
市場や投資の世界で何が起きているのかも腑に落ちないんです。
自分という存在をある程度は理解してないと自分は制御できないんです。
そうなんじゃないかと思います。
そして自分はこれを知識ではなく知恵と呼びました。
自分はいろんな知識経験が集まり、それが知恵となるんだと考えています。
例えば投資で一番大切な20の教えは知恵の本だと思います。
それはきっといろんな事を知り経験したハワード・マークスさんだからこそ書けたものだと思うのです。
知恵の本は書くのにもちろん知恵が必要でしょう。
それと同時に、読む方にも知恵を要求するんだと思います。
知恵を吸収するためには、その人も知恵を身に着けてないと駄目なんだと思うわけです。
いろんな知識経験が集まり、それが知恵となるんだと考えています。
故に投資の知恵(僕はそれを実力と呼んでいい)を身につけるには多くの知識や経験の積み上げがものを言うんだと思うわけです。
一冊の投資本・・投資の知恵を身につけるためには、遠くにある知識や経験・・つまりは人への理解の蓄積を通じて自分も知恵を身につけるしかないということなんだと思います。
もう一度このTweetに帰ってきましょう。
一冊の小説と投資本なら投資本を読んだほうが早い。でも千冊の小説と投資本なら小説のほうが重くなると思います。千冊の小説の優位性は簡単にはひっくり返せないと思います。以前も言ったけど無教養が一発逆転のハードルはとことん高くなる。投資は。
— かもめ (@kamomejan) 2016年4月27日
今回考えてみて、自分はさらに強くこう言わせていただきたいと思います。
無教養が一発逆転で投資で成功することなんてない。
知識や経験を蓄積し、それを知恵として人への理解を深め実力にした者のみが投資で成功するのです。
投資から遠くにある知恵を身につけるために何ができそうですか?