大河の一滴

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投資家・トレーダーのできる3つのコントロール

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 投資家やトレーダーができることはなんでしょう?

と始めると、社会的な意義とかアイデンティティの話とかにもなりそうなところだけど、そんな大層な話でもなくて、投資やトレードでは何ができるのか?何をコントロールできるのか?という話。

 

それって多分売買だけなんです。

株式なら大株主になって総会で経営陣締め上げて会社の方針を変えさせるとかもやったり、大口同士なら交渉で人事とかも絡めて取引条件を調整したり、不動産ならリフォームを工夫したり集客にテクニックを使うとかあるかもとは思いますが、株式投資やFXなんかぐらいを扱う多くの投資家やトレーダーでの話なら・・・

 

基本的には買って売るだけ。だけだと思うんです。

 

でもせっかくだからもうちょっと細かくしましょう。

そうすると、買って売るだけにも3つの要因があるように思えます。

つまりは・・

 

「何」を買い売るのか

「いつ」(どのような条件で)買い売るのか

どれだけの「量」を買い売るのか

 

細かく分けても3つだけです。

たぶんこの3つだけです。

証券会社に対する注文もこの3つの要素内に説明できるはずです。

例えば、誰から買うとか誰に売るとかは基本ないしできてもあまり違いを生まないし、日本でアメリカでとか場所もないとはいえないけどこれによる影響は低いとするのが自然かなあって思うわけです。取引市場を選べることもあるけどこれも影響低そうです。

 

そんなわけで売って買うというだけの行為を分けたとすると

「何」「いつ」「量」買って売るかという要素のみといえるんじゃないかな?

 

それらの判断に至る過程や理由は確かに無限の選択肢や違いがあると思いますが、いざ実行する段になると、結局はこの3つの要因の中に収まってしまうわけだし、その中でその投資やトレード行為の結果ももたらされるわけです。

 

投資家、トレーダーが出す結果の差は、「何」「いつ」「量」に対する判断にのみに左右される。

 

で、3つに分けましたよ。

「何」

「いつ」

「量」

買って売るか。

これだけをコントロールすればいいんです。というよりこれしかコントロールできません。

 

だから 基本的には考えるべきなんです。

その判断、それの「何」「いつ」「量」は正しいのか?適切なのか?

これ考えてない人も多いんじゃないでしょうか?

 

「何」はみんな結構考えていると思います。

世の中見てもみんなが関心あるのは「何」がいいんだ?というものばっかりに見えるし

 

「いつ」はどうでしょう?

これはあまり考えてない人も多そうです。でもいつ取引しても良い結果になるものというのは極めて少ないと思いますが大丈夫なのでしょうか?と思うけど余計なお世話か。

 

「量」はどうでしょう?

これは「いつ」より気にしている人は少なさそうです。

これを気にしない人のことは私としては本気で心配になってしまいます。

 

3つコントロールできるものがあるのに、というより3つしかコントロールできるものがないのに、そのうちのいずれかでもコントロールすることを放棄することは正直正気の沙汰ではないと思うんです。

 

投資家、トレーダーは「何」「いつ」「量」に関してしっかり手綱を握りそのコントロールをしっかりしないといけないし、ましてや自分の理性以外のなにかに譲り渡してはならないのです。

自分の理性と言いました。わたしは自分の感情にもそれを受け渡してはならないと言います。ましてや、日経マネーやザイとか証券営業とかどこぞのブロガーやTwitterアカウントに譲るなんてより論外です。自分の感情に渡すよりはマシかも

自分の理性を通過した結果それらと一緒になるなら問題ないと思うけど。

 

3つのコントロールを自分の制御下に置いてやっと投資家トレーダーが始まるんです。

自分はそうだと思って取引ごとにその3つが適切か?どうするのがいいのかを考えているのです。

 

投資家・トレーダーができる3つのコントロール

「何」「いつ」「量」

それを自分の制御下に置いてますか?

大切なそれを誰かに譲り渡してしまってませんか?

 

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 余談ですが「いつ」というと投機的なイメージで嫌う方もいると思いますが、これは安いか高いかでもいいです。本質的には同じ意味です。チャートか財務諸表と株価を比較するとかあるいはその他でも判断に至る方法に違いはありますが本質的にはそれら「いつ」を判断するためのものです。