自分の手法、何を狙って投資するかが多いかといえば
企業の成長を見込みことはかなり多いです。
企業成長しか眼中にないというほどではないと思いますが、実際問題自分は成長を取りに行くという事が多いわけであります。
カテゴライズするなら、やはり自分は成長株投資家となりそうです。副属性には配当とか優待のインカム投資家。稀にバリューの亜種くらいかなあ。
端的にはやはり自分はグロース投資家でしょう。
そんなグロース投資。アベノミクス以降では流行っているという実感のグロース投資。
そんなグロースが死ぬ日が来るといえばこんな物騒なことはあまりないでしょうが、そこまで物騒ではないと思うけどそれなりに物騒な話になるかもしれない。
近い関連
それに普遍性はあるのでしょうか?
グロースにです。
思えば、グレアム様が出てきたのは世界恐慌だしバフェット様が勇名を轟かせるのは経済成長期だし、リーマン前に流行るのはバリューでアベノミクスで流行るのはグロース。
そんな感じです。
それに普遍性はあるのでしょうか?
普遍性があってそれはいつまでも通用し続けると言い切っていいんでしょうか?
リーマン前にはバリューが流行っていた。
このことはもっと重く受け止められるべきかな?って思います。
その訳はなんなんでしょう?
自分が考えるところは・・
みんな不勉強でグロースをしらなかったというわけではないでしょう。
グロースよりバリューのほうがリターンを見込めるつまりは儲かったはずで、
グロースは危険すぎて誰もやろうとしなかったしやった人の多くは退場してしまったであろうし
つまりはグロースは死んでいたはずなんです。
ちなみに、グロースに勢いがありそうな最近ですがそれでもバリューは死んでなさそうに思えます。小さくはなってそうですけど。そういう意味ではバリューってしぶといというかよりプリミティブな気がしてます。
余談ついでにもっと振り返るなら、高度成長期に景気のいいお話がありまして
誰か個人投資家だそうですが、「ROE50%越えなければグロースにあらず。」だそうですよ。
今見ればROE50%越えなんてそうそう見当たりません。あっても財務が追いつめられた結果の財務レバレッジとかでいつ死ぬかわからぬみたいなものとか。
しかし、そのような言葉が残るということは、選べるほどあったのでしょう。
(ホント、その頃のデータを漁ってみたいです)
そして今大きくなっている企業の多くはそういう時期を過ごして来たのでしょう。
つまりはグロースはその時は暑苦しいくらい元気だったし、今狙うなら多くは退場となってしまうだろう高い目標を望む人も、きっとそういう環境ならば大いに報われたでもあるのでしょう。
もっと言うなら、投資の手法というか考え方に普遍性などなくてあるとすればそれは環境にあってるかあってないかでまた、環境によってその形も違ってくるのでしょう。今なら年10%なら十分グロースだと思いますけど、ある環境なら年30%はないとそうとは言えないみたいな。ある環境では5%で十分とみなされるかもしれませんね。
さて、もう一度問いましょう。
それは普遍的なものでしょうか?
そうでないなら、それはいつか死ぬものと言っていいかもしれません。
普遍的でないものがいつまでも生き続けてたまるものですか。
でもそれは必ずしも悲しいことではありません。また生き返るものでもあるかもしれませんから。
未来はわかりません。しかしそれは、今と過去を見る限りは死んだり生き返ったりするもののように思えます。時には姿も変えながら。
そうであるなら。
歴史が繰り返すものであるなら。
それまでの方法だけを信じる人は環境が変わる時結構脱落することになる。
と、言ってもいいんじゃないでしょうか?
歴史が繰り返されるなら。
それに普遍性がないのなら。
いつかグロースが死ぬ日が訪れるはずです。
想像できますか?
それが来る時にするべき準備はありますか?