大河の一滴

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会社は誰のもの?

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会社は誰のためにあるのでしょうか?

社会人なら多かれ少なかれ触れたことのあるテーマかもしれません。

自分もこのテーマに触れたこともあり考えたことがあります。

今日はそんな話。

ちなみに自分はある程度こうだろうなあという答えは持ってますが、それが正しい、お前もそう思えとか言うつもりはありません。ただ、こんな考え方でそれに迫ってはどうだろうか?という話になりそうです。

資本主義社会において、定義上は会社は株主のものとされています。

資本主義だもんね。お金が正義の価値観の中ではまあわかる論理展開です。

いろんな種の関わる人の中で株主がいて、株主は会社に対して金銭的リスクを負っている。故にお金が正義の資本主義社会においては、会社は株主のものであるって展開なんでしょうけど。

しかし、会社に関わる人間は株主のみではありません。

 

例えばで各々が負うリスクをあげるなら・・

従業員なら労働や時間を捧げること(リターンはお給料)

経営者なら業績に責任を負うこと(リターンは業績が良ければ高い報酬)

顧客なら購入するモノ、サービスが良くないものとなること(リターンは良いモノ、サービス)

取引先なら売ったもののお金を回収できないこと(リターンは何かを売ることによる利益)

金融機関ならお金を貸して返ってこないこと(リターンは利子など)

 

上記は一部です。その他株主以外も会社に多かれ少なかれリスクとリターンを負っており、会社がどうなっても良いという立場にはないでしょう。

株主以外も株主ほどは金銭リスクは負ってないかもしれないけど、大きい小さいはひとまず置いといて会社に一定のリスクを負っているとは言えそうです。

ここでひとつの見方として・・・

株主以外も会社にリスクを負っている。(もちろんリターンも)

という事実はあるでしょう。

その中で株主だけが金銭を出したという理由で会社を自由にして良いとすることがいいことであるか?という視点です。あるいは、正しいのかという視点です。

こうも言い換えられるかもしれません。金銭を出したという理由でその他の関わる人の立場を踏みにじることは正当化されるのか?これは逆もいえます。従業員のために株主の立場が踏みにじられることはありそうですし、それは正しいのか?

  

上記を踏まえた上で、

会社は株主のものである。

という命題をどう考えますか? 

ふたつめの見方として・・・

多くの人はこう考えているのかな?と思うところですが・・

事実はこうであるから実際こうだからこう考えるのが正しい。

 なんて見方の是非です。

 

株主はカネを出したから会社は株主のモン

経営者は、実際に会社を一番思い通りにコントロールできるから経営者のモン

従業員が一番会社に関わりそこで頑張っているから従業員のモン

会社は顧客のためにモノやサービスを提供しているからお客様のモン

その他諸々。

会社が批判される時も大抵はいずれかの利益を毀損することを理由にして批判されることが多い気がします。本来の正しい姿(ここがそもそもコンセンサスないけど)に見合ってないから批判されるということですね。

 

(従業員のためにある会社なのに)従業員をひどく扱うブラック企業だ。

(株主を儲けさせるためにある会社なのに)株価をさげる糞株だ。糞会社だ。

(お客を喜ばせるためにある会社なのに)低品質なサービスをしてお客を騙す詐欺会社だ。

 

こんな感じに。もちろん、批判するからには正しいと思う会社の姿と違うから批判するのでしょう。 

 

この先に違う利益はチカラによって自然にバランスするという発想もあります。バランスするところが丁度いいという奴ですね。 

しかしこの先に何が見えるでしょうか?

ひとつめで会社はいろんな人がリスクとリターンを負っていると言いました。

そしてそれぞれは相反する性質のものもあります。片方立てれば片方が立たない的な。

 各々がそれは自分のものである、自分の好きなようにしろと主張しあうのなら

強いものが勝つだけです。

事実はこうである実際はこうであるの先には、結局は相反する利益を調整できず強いものがそれを多く占めるということがあるんじゃないでしょうか?

チカラはバランスするという発想の先には、バランスが崩れるという形でそれがでてくることもある。バランスが崩れたときもバランスは正しいとみなすべきなのか。

例えばブラック企業はそれが従業員以外に傾いたという形と見ることはできそうです。

それは是か非か?

チカラで、パワーバランスでそれを決めるのは是か非か?

さてどうなのでしょう?

 

そこで提案です。 

 会社は誰のものであるなら、あるいは誰にバランスを傾けたら、会社はより良くなるという視点も持てるのではないでしょうか?

 

”こうだからこうである”から、”こうであるとするとそれは良くなる”という視点です。

そして長期的に誰にバランスを傾けた時に会社はより良くなっていくかという視点です。

 

僕はこの思考実験を試してみました。

 誰かのものであるとバランスを傾けすぎたものはいずれどこかで破綻していきました。

そして様々な誰かにバランスを傾けてもみました。

 

例えば株主に傾けるなら、配当は多めになるだろう。実績をすぐに出せない経営者は追い出されるであろう。お金にならないと会社の方針が捻じ曲げられることもあるだろう。その先に会社はよくなっていくか?

顧客や取引先なら、製品を安く売り出すようにチカラが働くだろう。製品を安くするということは従業員を安く雇用する動機になるだろう。その先に何があるか?

 

そうしてそれを繰り返した末にこれだろうとしたのが、最初に言ったこうだろうなあという答えです。

 実際に自分が極めていい会社だと思う会社はその答えにバランスを傾けているようにも思えます。

そう考えるとある意味自分は理想主義であり修正主義なのかもしれませんね。

しかし、それはあくまで自分の答え。他の人にはまた他の人の答えがあるのでしょう。

 

誰のためにある、誰にバランスを傾けたら会社はより良い存在になっていきそうですか?

あなたはどんな答えを出しますか?

 

自分が考える理想の形の会社は例えばこれ。

お話の中にある会社なんだけどね。

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