ネットをぷらぷらしてたらこんなのみまして
コメ見ながら、ふうん?って思ってなんとなくその場で思ったことをコメしてみたのですが、そのあとうんうん考えてなんとなく自分の考えが固まってきたのでそれをまとめてみたという話。
元々こんな記事書くくらいの考えでしたがある意味もっと先鋭化というか、なんで下のように導いたのか整理できたのかもしれないという話。
ここでは市場は効率的か?という問いに、「どちらでもよろしい。というよりなんだってよろしい。」となかなか投げやりな答えを出してますね。
ん?だからこれは宗教の話だよ。自分はこのような宗教を信仰しているという話。
でもどうでもいいよね?
市場なんてものはないんだから。(だから自分はそのような信仰だという話で自分の言い草聞いたからって別に改宗しなくてもいいですから。)
市場なんてものはない。
そこにあるのは、わたしだったり、あなただったり、どこかの凄腕の投資家やトレーダーだったり、殿様イナゴだったり、普通のイナゴだったり、年金(年金というものはいないと思うけどね)だったり、日本生命だったり、ゴールドマン・サックスだったりするわけです。
そこにあるのは沢山のそれぞれの参加者であってそこに統一されたまとめられた一個の市場なんて存在はない。
そんなものはないんだから、そこに効率とか非効率とか、正しいも間違いもあるもんかという話です。
でも、いちいちわたしとあなたと機関投資家それぞれの場合でああたらこうたら考えていくなんて七面倒になってしかたないので、なんか市場さんというなんだかよくわからない幻を便宜的に見てるだけ。
それは幻だ。幻なんだから実在するものなんかじゃなくそもそもそれが正しいとか間違いとか問うのはそもそもナンセンス。
だから自分の信仰がそうだという話ダヨ。
というわけです。
だから正しいとか間違いなんてないの。
市場には。
でも正しいも間違いもある。とかいうと謎掛けっぽいけどそうでもない。
勿論正しいも間違いもあります。
それは各々の参加者の中にあります。
市場に正しいとか間違いがあるんじゃなくて、わたしとかあなたとかに正しいとか間違いがある。という聞けば当たり前というか身も蓋もない結論になるのでありました。
もうそんなん当たり前だよね。
そーせいは、2016年に26180円(分割前)まで株高してその後にだいたい2017年末には13000円まで株安してるけど、例えばその中でそーせい26000円。これは正しいか?
そんなの参加者による。
ちょっと上がったら売るつもりで入って26180円で売った人が間違いだっていうの?失礼じゃない?26180円で買った人でさえ、それまで何回も株高で取ってきてトータルで利益を出しているなら、26180円で買ったことすら正解といえるよね?自分がこれを狙ってやってるとしてその26000円は間違いだろうとか言われたら戦争するしかないですよ。
逆に、わりと長く持つ気で買うことが多い自分が26000円で買うならたぶん大損になりそうで半分まで株安したとかになるならそれは間違いでしょ?実際には自分はこの間違いを犯してないけどもし買っていてその26000円で買ったことは間違いだったねと言われたら、はいそうです。申し訳ございません。反省します。ってなりますよ。
市場が間違いとか正しいとかじゃなくて、それぞれの参加者が間違いを犯したり正しい答えをだしたりしてるだけ。
あえてそーせい26000円がどうかということを言えば、正しくもあり、間違いでもある。ある参加者には正しく、ある参加者には間違い。ある参加者はそれで間違いを犯し損をしてある参加者は正しく利益を出す。です。もっと言えば正しく損をして間違って利益を出している参加者すら居るかもしれないね。
効率とか非効率はよくわからないですね。いやだって自分とそーせいを26000円で買って26180円で売る誰かと一緒にされても。とか思います。自分はたぶん6000円くらいなら正解とできるかなあって思うところだけどじゃあ平均とって16000円が正解ねってしてみてもいいけどそんなことになんの意味があるわけ?って思います。
もっと言えば、そりゃあある時は多くの参加者が正しかったり、ある時は多くの人が間違いだったとかなるんじゃね?とは思います。いずれのときも少数の逆の立場に立つ人はいるとは思うけどね。
そういう意味では、上の過去記事で言ったように「株式市場はだいたい効率的だけど非効率になることもある。というのを採用しています。」という立場は変わらないね。いや、いいですよ。効率的市場仮説を否定する立場にあるでも。
またアクティブに参加すると間違いを犯しやすいよね?というか正しく回答なんてだせないよね?とする参加者だって多いでしょう。そんなひとがINDEX買うのは正解じゃないかと思います。実際の所INDEXが最適解となる人も多いと思いますよ。
自分だってそうなるかもしれない。
自分は幸い総体的には致命的な間違いを犯してないし一応大きくは正しい選択をできてると思うけど、今後も正しい選択を続けられるかなんて保証はどこにもないし。
もう一度言いいますわ。
市場が正しいとか間違いかなんてどちらでもよろしい。というより市場とか存在しないもののことなんてなんだってよろしい。
正しい間違いは市場に属するものではなく各々の参加者に属するものである。
大切なのは、あなたという参加者ができるだけ間違わないように、正しい答えを出せるように考えていくことだ。考え続けることだ。
市場なんてよくわからないものを気にするなんて無駄な事をするんじゃなくて、自分にあった答えを出せるように自分を見つめなさい。見つめ続けなさい。
と言うのがわたしの宗教でありわたしの神様ダヨ。
というお話でした。
で、どうします?
あなたは今後、市場を見ますか?
それとも自分を見ますか?(いやもちろん市場も見ていくのも有益だと思うのでみてたほうがいいと思うけど)
と宗教勧誘をしてみて今回はおわりです。
市場に正しいも間違いもありません。
それは自分という市場参加者の中にあります。
ならば自分が間違った選択を避け正しい選択をするには
自分という存在を見つめる必要があると思いませんか?
これなんかも近いこと言ってる。