大河の一滴

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まったり一滴を注ぎ続け大河になる大河をつくることを目指す投資ブログ

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ふたつの貧しさ

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 日本では以前バブルとか高度成長があったそうです。

とか言い出すのは、自分は未体験だからね。

自分が社会人になったのは、バブルも終わってから。

だから想像で言うしかない話ではある。

 

豊かさと貧しさってあるよね?

その中でも今回は貧しさ。

その貧しさには二つあるよね?

という自分の想像で言うお話。

ちなみに投資で考えたことカテではないのでアイキャッチもまとめもないよ。

 

想像でないなら僕は一つの貧しさしか知りません。

お金が十分にないという貧しさ。

 

なにか欲しいものがあるとしてそれは売っているものでお金を出せば買えるのだけれどもそのお金を出すのは不都合があるか足りない。(これはたとえなんで愛は売ってないとか言い出さないでくださいね)

 

iPhoneXが欲しいとして、それは売っているわけでお金を出せないのか出したくないのかは知らないけど買えないわけです。

そういう貧しさ。

 

そういう貧しさに直面するとこう思うんでしょうね。

”もっとお金があれば”

 

そのように思う人が増えたり、そういう機会が多くなること。

それが一つの貧しさです。

この貧しさに直面する時はあまり”パンがあれば”とは思わないでしょうね。

だってスーパーにいけばパンはあるし、お金があるなら買えるから。

お金があればその問題は解決しちゃうからお金があればって多くの人が思うんじゃないかな。

 

でもそんな貧しさも加速すると、お金を持ってないという理由で人が餓死するわけです。

古めの記事ですが日本でも一日五人が餓死しているみたいです。

ironna.jp

スーパーには、棚ぎっしりに食品がある日本においても。

 

もう一つの貧しさ。

それを僕は知らない。

だから想像で言うわけですが・・

 

それはものがない貧しさです。

 

お金を握りしめてスーパーに行ってもパンがない。

お金を握りしめて餓死する寸前にその人は思うんでしょうね。

”ああ、パンがあれば”

 

お金があればとは思わないでしょうね。だってお金握りしめてるし。(実際起こればインフレになってるはずで”他の人より”お金持ってるならパンは買えることになりそうな意味ではやっぱりああお金があればになるとは思うけど)

もうひとつの貧乏はそういう貧しさです。

 

自分はそのような貧しさを知りません。

だって、自分が物心ついたときからスーパーには食料品がびっしりでしたし。

だから想像する他にはこの貧しさに思い至る事ができません。

 

でも多くの人はその貧しさの片鱗を味わったことがあるはずなんです。

例えば、街で花火があった日。

気の合う仲間と花火でも見ようかと行くことにして、行ってみたら大混雑で疲れてしまって、なんかお店でも入って休もうかということになりました。

 

しかし入る店、入る店、既に定員オーバー。

普段は、誰かが入っているのなんて見たことない店にすら満員で入れない。

これならお金は倍払っても入りたい。と思えば既にお店は便乗値上げしてる。そんな店すら満員で入れない。

”お金ならあるのに!”とみんな疲れてくたくたになって帰るのでした。

 

こんな体験をした人は結構いるでしょう。というか最近なら任天堂switchが供給不足で転売ヤーが値段を釣り上げても買う人がいたくらいな状況だったし。

 

これが局所的ではなく色んな分野で慢性的に起こるのが・・

 

もう一つの貧しさです。

 

その貧しさは

医療の分野で起こるなら、いくらお給料をあげても医者のなり手はいなく、病院はいつまでたっても順番待ちで医療機器を買うことができないという理由で、来院者は満足な医療を受けられなくなります。

道路点検の人は精一杯働いているのに、道路点検が間に合わないという理由で今まで通れた橋は通れなくなる。

今まではお金がないという理由で放置されていた土砂崩れは、業者の仕事がいっぱいいっぱいという理由で放置され、さらなる土砂崩れが起き近くの家が巻き込まれる。

営業マンはかかってくる電話対応に手一杯で飛び込み営業して買いたくない人になんとかものを買わせようなんて暇はなくなる。

電車のブレーキに使う部品が用意できなくて電車はブレーキが満足にかけられず対向列車とぶつかる。

 これが農業の分野に起こるなら、今までは農家にお金を払いたくないという理由でビジネスにならなかった農業は、お金を積んでも農業のスキルを持つ農家のなり手が足りないという理由で産業としての役割を全うできず、すべての人が食べるに十分なパンを用意できないことでスーパーからパンがなくなり餓死者が出る。

 

世の中は売りたい人ばっかじゃなくて、いるのは買いたい人ばっか。

でもその買いたい人の想いを満たすほどのモノはない。

みんな頑張ってもそれが用意できない。

 

想像できませんかね。

想像できないかもしれないね。

だって、たぶん多くの人は生まれてから棚が食料でいっぱいのスーパーしか見たことがないんだから。

 

まあ自分も想像でいってるんだけどね。

お金のない貧しさなんて

ものがない貧しさに比べれば、たいしたことないよ。

だってものは足りてるんだから。

あとは分配を考えるだけの話。

用意されたものを皆に行き渡らせるにはどうお金を配ればいいかという話なだけ。

 

これも大変っちゃあ大変だろうけど、うまい分配方法を考え出せば、餓死者はいなくなるわけです。だってスーパーには棚いっぱいの食料があるしね。

分配もうまくやらないと餓死者も出てくるけどね。スーパーに売り切れないほどの食料があろうともね。だから問題じゃないとか言う気はさらさらないけど。

 

でも、ものがないという貧しさに直面すると分配だけじゃ解決できなくなる。

みんなが必要な食料を用意できなくなれば、どううまく分配したって餓死者が出てくる。

(自分はパンが足りないときにお金を発行するという手段で解決しようとするとハイパーインフレになると考えています。お金を刷ってもパンは増えたりしないからね。)

 

もちろんここでいう餓死者とはただの例えだよ。

まだ日本はお金がうまく回らない、行き渡らないという意味ではめっぽう貧しくなったと思うけど、ものが足りないという意味ではまだ貧しくなったとは言えないんじゃないかと思うな?世の中買いたい人より売りたい人ばっかに見えるしね。

売りたい人はなんて言ってるかと言うなら、モノをよこせじゃなくてお金をよこせって言う意味で言ってると思うところだし。

 

でもものが足りないという意味で貧しくなってくるなら色んな分野で餓死者が出てくると思うところです。

それが食料の分野で起こるなら文字通りの餓死者だね。

まだ。

スーパーには棚いっぱいの食料品。

けど見渡せば空きが目立ってるあるいは空っぽの棚も出てきているのかなあ?と感じるところです。

空っぽの食料棚など見たくはないですが、見たときの心の準備くらいはしてもいいかなって思うし、見ないためにできることなんてことも考えてもいいかもしれない。

まあ、見たくないですよ。自分も後世の人も空っぽの食料棚など見ないで済む方がいいけどね。

 

こんなの杞憂で終わればいい。お金が足りないからモノが足りないに変わるなんて、売りたい人ばっかの世界は終わり買いたい人ばっかの世界になるとかそんなパラダイムシフトなんて起こらなきゃいいとは思います。

でも食料いっぱいの棚を譲ってもらったからにはそれが起こらぬよう考えるべきこともあるかな?と思ったりするわけです。

 

そんなことを想像したんだというエントリーでありました。

 

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似たようなことを言っている記事を見つけました。

ameblo.jp

東日本大震災のような大災害が発生したとして、どれだけ「カネ」があったところで、土木・建設業、軍隊(自衛隊)、警察、消防等の供給能力がなければ、国民を助けることはできません。国民を救う、モノ・サービスの供給能力の総計こそが「経済力」なのです。
 後進国は、大震災発生時に国民を救うことはできません。理由はカネがないためではなく、モノやサービスの供給能力が不足しているためです。すなわち、経済力がないためなのです。」

 

ちなみにこの記事を書いたほうが先。アップはリンク先の記事が先ですけど。

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