自分は高値掴みというのがよくわからないのです。
だって自分は狙っても高値掴みできないんですから。
とか言い出すと、すごく嫌味に聞こえると思いますが、嫌味じゃなくて若干皮肉かな。
若干の皮肉含みで始める高値掴みの定義の話。
もっと言うなら言葉の意味を考えようって話。
そして出来ないことをできるなんてしてしまうことをどう防ぐかって話。
だから自分は高値掴みの定義を問うているのです。
高値掴みとはなんぞや?と。
それを考えていくと、自分は高値掴みというのがよくわかないし、自分は高値掴みなんて行為はしたくても出来ないものだってなるんですよね。
高値掴みの定義とは何でしょう?
高値掴みってなぁに?
高と言うだから何かに対して高いんでしょう。
それは何?多分株価なんじゃないかな?配当利回りじゃないと思う。PERはあるかもだけれどもここでは株価で考えてみるよ。
どの株価?流石にみずほと三菱東京UFJ比べて、後者をみずほと比べて高値掴みした!とか嘆く人がいたらとても面白いと思いますが、嘆きポイントが全く思い当たらないので多分これも違うんでしょう。
じゃあ、みずほならみずほの株価に対して言ってるんだろうね。
となると・・いつの株価に対して高値掴みと言うんでしょう?
過去の株価に対して?
・・・それとも未来の株価に対して?
過去の株価に対して言うのなら自分の話は終わりです。
といいながら続けるけど。
過去の株価に対して高い株価で買うことを高値掴みとするし、そういう意味で高値掴みはしないぞ!
うん、いいと思います。
ただ、そうなるといずれかの期間でそれは逆張りつまりは下がってる株を買うぞという宣言となるはずです。
だって過去にはもっと高い株価がありそこから下げているものを買うとするんでしょ?
それは逆張りだよ。
文脈的には数年以上株安しているものに対して使うのが自然かなぁと。
だってそうじゃないなら、それは過去の株価に対して数年規模では高値の方(あるいはほどほど)となるはずですので。
まぁでも三ヶ月規模で高値掴みしないぞと三ヶ月前の株価より低いところで買うとして買うなら本人がそうというならそれは高値掴みじゃないですね。
それが数年規模では、高値掴みだったとしてもね。その規模はその人が決めるものだと思うのでいいと思います。
まぁ要は自分のしてることを理解してそうするならあまり問題はないと思います。
それは三ヶ月規模なら高値掴みじゃないけど、数年規模なら高値掴みであるとして買うのは全然問題じゃないです。数年規模で高値掴みだと知ってるならね。
でも。未来の株価に対して言うのなら。
未来の株価に対して高値掴みしないぞ。
ふーん。
じゃあ聞くよ。
未来の株価わかるんだ。
分かるとする根拠は何?
まあ分かるとするならいいや。
でも、分からないとするなら・・
わからないものに対してどうやってそれが高値掴みかどうか判断するの?
ちなみに、自分は未来の株価全くわかりません。
自分はその基準がわかり得ないから、それが高値掴みかそうじゃないか全くわからない。
故に自分は高値掴みができない。しようと思っても出来ない。
故に自分は高値掴みしないぞとは言えない。
だってそれはできないことだから。
と、冒頭のセリフに戻ります。
だから自分には高値掴みはしないとは言えない。
そして自分は出来ないことを出来るとする事を恐れるのです。
ちなみにそれを過去の株価に対して言うのなら、自分は高値掴みも普通にします。自分の事を言うともっとも成功した投資は過去の株価に対して高値掴みしたものです。
まぁ普通は高値掴みはあまり好みません。過去から株価が低くなったとき、落ちるナイフを出血覚悟で掴むほうが好きです。
そうなると数年規模で過去の株価に対して高値掴みとらならないものってなるね。
というわけで過去の株価に対しては高値で掴んだり安値で掴んだり。
どっちもやります。
と、いうわけでありました。
うん?言葉の意味を考えようって話だよ。
だって言葉を正しく理解しないと事実を誤認したり、出来ないことを出来るとか思っちゃうからね。
出来ないことを出来るとみなす事なら投資でトップレベルに危険なことだと思うよ。
その危険を避けるために出来ることを例えばでここで実演してみたつもりです。
なになにとはなんぞやと考えてみましょう。
それを整理してみると違った意味が見えてきて
今まで気が付かなった事に気がつくかもしれませんよ?
出来ないことを出来るとするなんて怖いことだと思いませんか?
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