最近思ったことですが
久しぶりの投資やお金について考えるカテ記事ですけど、最近思ったことで。
不労所得いいですよね?
何もせずに収入がある。
それはいいものだと思ってたけど、それは思った以上にいいもので価値があると思うようになった。
そんな話。
不労所得の価値です。
それは如何程か?
実はすごく単純な話で例えば株式見れば答えが転がってます。
配当利回り3%(高配当よりになるでしょうね。多くはこれより低くなる)なら年間300万円の収入(税抜き)を得るためには一億円。
イチオクエン。
です。どちらかと言えば低所得とカテゴライズされる年収を得続ける事(それも確実じゃない程度)につけられる値段は時局にもよりますがイチオクエン。一億円です。
この300万円と一億円の語感の違いが半端ないですがそうなんです。
300万なんて、普段の生活でよく聞くレベルだけど、億とか事件で人殺しした動機の金額でもなかなかないくらいで、企業がなんちゃら買収とか国が無駄遣いしたとか生活感のない雲の上の話の単位ですよ。基本的には。
でも、生活感のある300万円もらい続けるのに要求される金額は生活感の欠片もない億円あるいはそれ以上になってしまいますが、そうなんです。
不動産とかならもうちょっとかからないっぽいですが、これはもらい続けられる性がより怪しいところです。家賃相場下がったり、住居人と喧嘩したり、災害とか来たら思ったほどもらえなくなるかもしれません。そもそもお家は月日が立つとボロくなるし。
そんなわけで人によるかも知んないけど自分はだいたい株式と不動産ならフェアぐらいに思えますよ?
そうなんです。例えば不労所得を買おうとするとこれくらいはしてしまうんです。
何故か?
もちろんそれの価値は高いからです。
不労所得の価値はベラボウに高い
ここでは、それをどうやって買うのか?なんて考える話じゃないよ?
ああ、不労所得って実はそんなに価値の高いものなんだと理解しようかという話です。
ロバキヨの本見て、よっしゃ不労所得を得ようかななんて気軽に得れてしまうようなありきたりのものなんかじゃなかったよ!っていう話です。
不労所得の価値は高い。
富の根拠の価値は高い。
でも、このように考えてみると自分は色々と理解が進んだ気がするのです。
毎月配当の投資商品なんかに釣られて結局損しましたなんて話が尽きないこと。
不動産とか安易に手を出してやっぱり結局損とかむしろ借金とかになってしまう人も多めなこと。
一時アクセスを稼いだブロガーとかが、アクセス減ったのか怪しげなアフリとかに手を出して批判されること。
投資家でもストックストックうるさい人も多いとか。
優待新設に飛びつく事象とか(すぐ&不労所得効果だね)
これらは高い価値を欲しがる行為だったり、対価を考えず安易に飛び乗る行為であったりもするといろいろ納得するわけです。
あと、定期的に収入得られる労働って価値あるのね。とか。だから銀行がお金貸したがるんだみたいな。(銀行にとっての不労所得って意味だよ。ついでにそんな価値あるものをぞんざいに扱うブラック企業はけしからんね。)
それらすべて、不労所得の価値が高いことと繋がるわけです。
それの価値は高い。
人を誤らせたり目を眩ませてしまう程度にはその価値は高いのです。
そして高い価値がある故にそれは大きな対価を要求する。
それがほしければ、大きな対価を払うことを躊躇ってはならぬと。
それを出し惜しむと悪い結果になってしまうと。
対価とは・・
億のお金だったり。
長い長い時間だったり。
際立った知識や智慧だったり。
尽きない向上心とか努力とか。
冷静で慎重で節度ある態度だったり。
強欲と恐怖を排除した姿勢だったり。
なにかは、わからないけどね。他にも腐らないこととか入ってくるかもしれない。
ちなみにそれでも個人的には”すぐ”の価値のほうが高いような気がしてるけど。
そんなふうに思って、自分もいつか手に入れたいと思うんです。
ならば、高い対価を用意せねばならない。と、思います。
そのために精進して対価となる何かをためていこうと思うんです。
そしていつか価値あるものをこの手で。
買うか築き上げるかしたいものだなあって思います。