大河の一滴

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まったり一滴を注ぎ続け大河になる大河をつくることを目指す投資ブログ

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喜んで楽しんで対価を支払うモード

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自分としては

投資でラクして儲かる事なんてありえないという考えになってます。
例えばこんな記事とか書いたり

kamomenotoushi.hatenablog.com


 あんな記事とか書いたりして

kamomenotoushi.hatenablog.com


 いろいろ経験したりいろいろ考えて頭からひねり出したりしてきたりした結果だね。

結果を出すには対価がいるんです。
対価をけちっては結果なんて出ないんです。

でもね・・という話。
ラクしては無理だけど楽してはいけるよね?という話。

対価をどのようにして支払うか?

苦しんで支払うことはできましょう。
血反吐を吐く苦労を積み重ね、人生のその他の事を後回しにし鬼気迫る苦行の果てに対価をひねり出すというよりは絞り出す。
なんてことは可能だと思います。
・・たぶん結果も出るんじゃないかな。たぶんだけど。

でもその反対もあるよね?

それに触れてるのが楽しくて面白くて、突き詰めていけば奥深いところが見えたりしてもっとやってみればさらに別の面が見えたりしてきて、他のつまんないものとかはほっぽっといてなんか夢中で楽しんでいたらなんか対価らしいものが勝手にできてた。

楽しんで面白がってやることが対価になっていた。みたいな。
そうなるならきっと結果は出てくるんじゃないかなって思います。

そういうモードもあるように思えます。

どうやら、利益の代わりに差し出す対価は必要なんだけど、その対価は苦しみ抜いて絞り出したか、楽しんで喜んでやったことから出てきたかは問われないように思えます。

対価がどんな態度のもとに作られたかはたぶん問われない。

ならば喜んで楽しんで対価を作っちゃう方がいいじゃないですか?
それに苦しんでそれを行う人は楽しんでそれを行う人より不利なように思います。苦しいがゆえに出し惜しみしてしまうから。それを絞り出すのに苦しんでいる人をよそに、それを喜んで楽しんでやってしまうモードに入った人はホントに強いように感じます。

利益というのは、慰謝料ではないんだと思うのです。
苦行である対価に対する慰謝料なんかじゃない。
だから、利益の代わりに差し出す対価は苦労して絞り出すものでもないしそんなの面白おかしく喜んでやってたらいつのまに対価になってしまってたに越したことない。
対価が苦行である必要なんてない。

そうだと思いませんか?


だから突き詰めたい面白いこと。

面白そうなこと見つけましょうよ?
まず楽しめそうなところからやりましょうよ?
利益とかひとまずおいといて楽しい、面白いを追求するんです。

でも、面白いことは続けるんです。突き詰めるんです。
投資なら優待突き詰めれば利益になりますって
会社の違いを見る事を突き詰めれば利益になりますって
人の心理に想像を馳せつつチャートを見続ければ利益になりますって
それらは対価になるものなんだから

でも優待ならホームページやザイをテキトウにあさって得られる情報に乗っかっているだけとか突き詰めるなんて言いません。四季報ひっくり返してたくさんある優待で新しい優待を見て新鮮さを覚えたり、どの優待がお得か比較して数時間考え続けるとか、どんな会社がどんな優待を出しているのか調べるのに苦痛を感じないとか継続的に延々とやり続ける。突き詰めるってそういうことだと思います。

と、無責任なことを言いました。

それだけじゃ難しいかも。
投資で結果を出すならつまらない事も少しは必要になりそうです。
例えば資金管理とかね(資金管理を面白おかしくする人もいるだろうけど)

少しのつまらない必要なことともしつつ面白いと感じることを突き詰めれば、投資は結果出ます。これはきっときっと。

少しのつまらない必要なことと面白おかしい突き詰めたい何か。
それは利益の代わりとなる対価になりえます。

ここでは面白いとされがちなものは何だろうかとか少しの必要なこととかは考えないよ。そんなの自分で考えて。というより面白い突き詰めたい何かなんてその当人しかわかりません。


センスと才能って。

自分はあまり投資にはセンスとか才能とか必要ないと思ってますが、投資になにか突き詰めたいと思えるだけのものを見いだせるか?という点にはそれはあるかもしれないと思うところです。
センスとか才能があるとするなら、それをうまくこなせるかどうかではなくて、それを面白いと感じる事ができるかどうかを指すと思うところです。

けれど、投資は面白いところをたくさん含む、こういう楽しみ方があると同時にまったく違う楽しみ方もできる。そういう懐の広さがあると感じてます。
単純にいってもいい複雑にしてもいい、人を見てもいいものを見てもいい、広くいってもいい狭くいってもいい、少しづつ積み上げてもいい耐えて一発を目指してもいい。そのいずれも突き詰めるべきなにか、対価となりうるなにかがあるように思えます。

このあたりが自分が投資にはあまりセンスとか才能が必要ないと思う理由です。
投資の世界は懐が広いのでなにか突き詰めてみたい面白く感じる事があるはずです。おそらく多くの人にとって。

まあこれは自分にバイアスがかかってるかもしれない。
自分は投資が楽しく面白おかしいものに感じている人なので。
こんなに奥深く楽しいことなんて早々ないくらいに思ってる人間だからね。

 

対価を払うなら
面白くおかしく払うほうがいいじゃないですか?
突き詰めたい何かを見つけて
喜んで対価を支払うモードになり
利益を得ませんか?

 

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