投資では情報が大切とよく言われます。
自分も大切だと思います。
でもそれ以上に大切なのかなってものの話となるかな?
というか大切な情報とどううまく付き合うか・・なんて話も含んでそうです。
それは相場観。
あっと、自分は相場観って言葉はちょっと世の中と違う意味で使ってます。
以下あたりがそのあたり。
その違いを端的に修正するなら自分の言う相場観は価値観と直すとそれっぽいかも。
なんやかんやで相場観というものは
それぞれの人の中に作っていくものだと見なすようになっています。
その人がいろんなものを見て、いろんなことを経験し、いろんなふうに考えていった末にそれはできあがる。
その相場観を作るだろう材料は人それぞれ違うでしょう。
故に相場観というものは人によって違うものとなるはずなんです。
世の中には情報が溢れてます。
ニュースサイトを見ればいろんなニュース。
掲示板でも見ればあれがいい。これがダメだ。
Twitterでもブログでも見ても同じこと。
いろんな人がいろんなことを言ってカオスな事になっているでしょう。
なんでカオスになるか?
自分の有利を導くためのポジショントークとかもあるんでしょうが、それぞれの人の見てきたこと、経験してきたこと、考えてきたことの相違がそれを生むと言ってもいいんじゃないでしょうか?
相場観の違いがそれを生む。
いろんな相場観の人がいろんな事を言っている。
そして時にはというにはもっとありふれたこととして、だれかの相場観とだれかの相場観はぶつかるわけです。
自分はそれら全部正しく・・そして全部が間違いだと考えています。
言い換えましょう。
ある人にとっては正しい情報でありある人にとっては間違っている情報であると考えています。
だから僕の言うことも間違いなんです。
そうだとするなら情報を大切にするという行為は、それらを全部取り入れる行為ではないとなるはずです。
だってたくさんある情報の中にはあなたにとって間違っている、あなたと違う相場観より発信された情報が混じるはずだからです。
相場観のノイズを取り入れてはいけないと思うのです。
相場観のノイズを拒否するためにはどうすればいいのか?
自分の相場観を持つしか無いと思うんです。
相場というのはこういうものだ。
会社というものはこういうものだ。
それに向き合う人はこういうものだ。
そのなかで自分はこういうふうに向き合おう。
なんでもいいんだけどそのひとなりの相場観。
自分の自分だけのそれを持つべきだと思うんです。(人のそれを見て自分のそれを手直ししていくことは良いことだと思います)
自分の考えをしっかり言えるくらいにはなりたいものですね。
そうすればこの人は自分とは違う相場観より発言してるんだな?とかこういう相場観もあるんだな?とか思い当たるようになると思うんです。
違いがわかるということです。
そして違いがわかるから自分もしっかり立てる。
もしわからなければ、いろんな相場観から発信される情報、いろんな事を言われる度にこれは正しいこれは間違いなんてふらふらし続ける事になってしまうでしょう。
その先にハッピーエンドなどないと思うんです。
あなたの相場観を磨きませんか?
他人の相場観のノイズに惑わされず
自分の相場観で立ってみませんか?