大河の一滴

大河の一滴

まったり一滴を注ぎ続け大河になる大河をつくることを目指す投資ブログ

MENU

ベルリンの壁が崩れるとブラック企業が生まれる

スポンサーリンク

滅茶苦茶なタイトルだなあと思いますがある意味自分は本当にそう思っていることです。なんとなくだけれども。

なんでそうなるのかって事をうだうだ話すエントリー。

結構前に書いて、だそうっかな?どうしようかなよ迷っていた記事だけど、イギリスがEUを脱するという節目を迎えて、ブラック企業の先が来るかもしれないと予感がしなくもないと、金持ちを吊るす儀式が進行しているよね?って思いもしたのでこのタイミングで。 

21世紀の資本

パナマ文書

荒れ狂う移民問題

と来る中でイギリスのEU離脱は歴史に楔を打つ出来事となるかもしれない。

今までの方向性は変わるかもしれない。

と思いつつ投下してみる。

 

これらなんか関連する記事なのかも。 

kamomenotoushi.hatenablog.com

kamomenotoushi.hatenablog.com

  

自分は戦国時代とか三国志とか好きですしもっと言えば歴史は面白いと思ってます。

高校の時世界史選択選択だったし。

歴史が苦手な人は、おそらくは出来事の羅列を覚えるもの程度の認識なんだろうなあと思うところですが、

でも歴史って繋がるですよ。出来事と出来事が繋がることがわかると俄然面白くなると思います。

すべてわかっているわけではないからあくまでも解釈のしようということにもなりますけど。

例えば戦国期豊臣秀吉は明を攻めようとするわけですが・・・

ひとまず事実的な整理。

秀吉は明への通り道である朝鮮に出兵した。

秀吉は伴天連追放令を出している。

秀吉はスペインに非常に強気な使者などを出している。

朝鮮出兵をやめた同時期くらい(アルマダ海戦1588年)にスペイン没落が始まっている

なんてことがあります。

また宣教師は植民地化の尖兵としての意味もあったというのは多くの人の御存知の通りかと。

その上で自分は以下の様な説を支持してます。

背景としてスペインは明にも同じように宣教師を送ってました。明をスペインの支配下に置かれることは秀吉にとっては非常にまずいわけです。せっかく乱世を統一して平和にしたのに大きな脅威が出現したらまた乱世です。

ならば明を影響下においてスペインに備えようというのはありそうな発想です。

そうしようとしたんですがご覧のとおり朝鮮で泥沼化。

そうこうするうちにスペインの影響力が弱まり明がスペインの影響下にはいることはないだろうと判断したので兵を引いた。

このようなプロセスは、明治から昭和にかけても散々繰り返されています。

今はしりませんが過去の人々は朝鮮から中国にかけて敵対勢力が現れることをさんざん心配し手を打とうとしては今にも繋がる遺恨の種を振りまくことになった。とおもっているわけです。

おかげで朝鮮の人たちからは400年たっても恨み言を言われているわけです。

手を打たなければ今の日本ないかもしれませんので間違いだったという気はないです。

正しいとも言いません。ただおそらくそうだったんじゃね?とは言いそうです。

あくまでも自分が解釈する歴史ですが。

 

こうやって事実から解釈をつなげていくのが歴史の面白さだと思っているわけです。

過去の出来事が他のことに繋がる。場合によっては今にまで繋がる。

それを考えるのが歴史の面白さだと思うのです。

他にも中東の荒れ具合の原因はたどり寄せればイスラエルという存在。それは紀元前までに原因を遡れると思うし、アフリカの荒廃ぶりはヨーロッパさんが好き勝手した数百年くらい前に原因を求められる事にもなりそうです。

どうしたものかねえとしか思えませんけど、それが僕達に与えられている世界です。

 

今は過去と繋がっているのです。

 

ここでやっと本題。

自分はベルリンの壁崩壊とブラック企業は繋がっていると思っているわけです。

20世紀は、ほとんどそのまま資本主義VS共産主義といえます。そして共産主義が生まれ敗北した世紀でもあります。

ベルリンの壁崩壊は、その共産主義敗北の始まりと自分は考えています。

つまりターニングポイント。これって今思うととてつもない大きな出来事です。

 

それまでは、資本主義は共産主義と戦わなければならなかった。あまりに労働者をいじめるとアカが勢いづきすべてを壊され共産化してしまうかもしれないという恐怖があり、資本家は労働者に配慮する必要があった。

言い換えるなら労働組合がうるさいからあまりこれ以上できんな。とかの判断を経営者はしていた。

 

しかし共産主義が崩れだすことによってライバルがいなくなった。

本来労働者より資本家のほうが強いのでしょう。だから団結しろとアカの人はいうわけです。理念を失えば団結などできませんよね?

 

共産主義は崩壊したではないか?ということで労働組合は理念の柱を失い発言力がよわまっていく。形骸化していく。

CEOの報酬があがっていくことにストップをかける力を持つものはいなくなっていく。

自分の存在を脅かすものの考えを支えていた理念が失われていくのをみて投資家は強く配当をよこせということができるようになった。

 

あると思います。1990年位から。そういう動き。

経営者、投資家、資本家は労働者に配慮する理由を失った。 

その始まりがベルリンの壁崩壊ではないのかと僕は考えているのです。

お金が猛威をふるう時代の始まり。グローバリズム新自由主義も極論すれば札束で人をなぎ倒す事を源とすると言えそうです。

 

配慮する必要が無いのなら力の限り自らの利益を求めればいいわけです。

力の限りみんなが戦うのなら力がつよいものがたくさん得るのは道理です。

そしてその果てにブラック企業爆誕したのである。

 

以上。

 

あくまで自分の解釈よ?賛成しろと言う気もないです。

そして、自分はだからどうしろ、こう考えろとか言う気もさらさら。

とりあえず自分に与えられた世界はこうだろう。と自分が考えるだけです。

人によっては違う解釈違う結論を出す人もいるでしょう。

その上でどうするかどうしたいかは各々が考えればええんでないか?と考えているわけです。

 

ちなみにあくまでも推論だけど1990年以降前後の後では以下の傾向があるようなら正しい推論となるかも。 

労働分配率が低くなっている

・企業が自社株買い配当性向をUPしてきている

・意味的にブラック企業の類語があるかどうか増えたかどうか

・労働時間、サービス残業環境に悪化

・労働者の雇用を切ることが容易になっていくこと

 

実際どうなのでしょうね?(調べる気はあまりない)

 

過去を見ればいままでそうやって歴史は積み上げられ今がある。

その繋がりその影響を考えていく。

歴史ってそうやって楽しむものだと思ってます。

楽しめるなら、もしかしたら霞がかる未来も少しは見えてくるなんて実益もあるかもね?

 

 

記事を気に入ってくださった方は↓をクリックしてくれると嬉しいです。