大河の一滴

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拡声器にかけられた痛み

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ヒトってリスク回避的だそうですよ

 

リスク回避的って言うと、リターンとリスクがあったらリスクを重く見るってことです。

例えば、お肉食べれば狂牛病になるかもしれないと思えばそれになる可能性の高さは考慮せずそれがそのために日本人死亡者は一人(それもイギリスに滞在があった模様)にもかかわらず騒ぎのせいで自殺に追い込まれた人のほうが多い始末であるけど牛角にはまったく寄り付かなくなります。(そのくせ横断歩道では手もあげないだよね。へんなの)

 

でもへんなのとはいいましたが、ある意味当然なんですよね。

だって美味しいお肉食べられなくても先はあるけど、狂牛病になるなら先無いですもの。

リスクとリターンを等価にみると人ってたやすく死んじゃうんです。過酷な環境では。

木があって近くに熊の巣があるとして、木の実を取りに行き続ければどうなるか考えてみてください。

(ちなみに自分は狂牛病は過酷な環境で起きた出来事とは思ってないけど。)

 

より長い時間を過酷な環境で生きていきた人類には危険を重く見るって遺伝子が組み込まれているんだろうなあって思ってます。

そしてもう今日死ぬかもしれない、今日をしのいでも明日死ぬかもしれないという環境にはおかれていないだろう現代人だってその遺伝子が組み込まれているって思ってます。

そんなよくわからない感じの語りだしで始まるエントリー。

 

痛いはずなんです。

一万円意味なく得する事より、一万円意味なく損する事のほうが。

株式投資ならちょっと運用額増えれば一日のお給料分の稼ぎなんて平気で値動きします。小規模と言えない額になれば一日に1月以上のお給料分の資産が動くことだって珍しいことではなくなる人も多いでしょう。

その中で一万円の資産増利益くらいなら、ふーんで済ませ、一万円の資産減損失ならもう顔が青くなってる。よくあるんじゃないでしょうか?

不思議ですが不思議じゃない。人は損失、痛み、リスクのほうを高く評価するようにできている。

厳しい環境を生きてきた残滓があるんです。

 

だから損失は利益より痛いんです。

痛みには拡声器がかけられている。

 

もちろん自分だって痛いですよ

株安になれば、いってえと思います。同じ額が増えた時より。

(といいつつ、最近はそうでもなくなってきたかも。訓練か慣れでしょうか?)

 

しかし実際に数字を見るなら客観的に評価すると大したことない事が多いという実感があります。

損失が増えれば自分の心は痛いという警告を発しますが、投資の多く場面においてはそれは、過剰警告です。(もちろん正当な警告であることもあるでしょう)

 

殆どにおいては数字がそう言うのです。

 

これは憶測ですけど、人って危険だから警告をだすではなく、危険になるかもしれないという危険の種を見た時点で警告を発するようにできているのかなあって思います。

もっと憶測なら、投資においては危険の種は利益の種であることも多い・・んじゃないかなあ。

もちろん本当に危険になることもあるけどね。

 

投資は、危険なこともありますが人が長らく歩んできた環境に比べれば遥かに安全です。

損失を利益より重く置くというのは生き残るすべとして正しくないかもしれません。

こと投資においては。(トレードは比較危険を重く見たほうがいいかもとは思ってる)

正しくないなら、人の遺伝子が告げる警告に歯向かう必要がありそうです。

 というか拡声器にかけられた痛みに惑わされている中で合理的な判断、正しい判断なんてできるものかって思います。

 

 正しい判断ができないから損をする。シンプルだよね。きっとそれは正しい。

拡声器にかけられた痛みで惑わされるから正しい判断が出来ない。これもたぶん正しい。 

そうじゃないかなあって思うのです。

そのときに何にすがり正しい判断をしようとするのかって事が結果に繋がるのではないのでしょうか?

 

その痛み。 

数字を見るならきっと実は大したことないんです。

痛いと感じるその時、しっかりまわりを見ませんか?

拡声器にかけれれた痛みが嘘だとわかるかもしれませんよ?

 

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補足、これはいろんなことに言えそう。

経営者によって、会社を大きくするのに限界があったり、投資資産高が大きくなるほどそれより資産を増やすのが難しいと言われたり。

よするにその人に器があってその器から溢れるような痛みを受けると正しい判断ができなくなるって見ることも出来そう。