大河の一滴

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まったり一滴を注ぎ続け大河になる大河をつくることを目指す投資ブログ

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見えている。見えていない。

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2016年ゴールデンウィーク

みなさまいかがおすごしでしょうか?

市場がお休みの日となります今日。かなり溜まってきたなあという”投資でかんがえたこと”カテのストックからちょっとイマイチかな?というものを蔵出しする試み。

第三弾。で、これで蔵出し終わりです。

 

 

僕は見えていると思っています。

例えばファンダメンタル。これは人より見えていると自負があります。傲慢ですね

多くのトレーダーより自分はファンダメンタルが見えている。

当たり前です。それを見ていない。見ようとしない人より見ようとしている人がそれをいくらかは見えるようになるのは当然であります。

それを見ようとするならいくらかはそれが見えてくるものです。

実際に、自分はこれ重要じゃね?と思うことが他の人には見えてない様に感じることがあったりします。たぶん重要じゃないんでしょう。

僕は見えてないと思ってます。

投資家心理に関して。これはあまり見えてないという自覚があります。

多くのトレーダーよりそれについて無知で鈍感です。

当たり前です。それを見ている。見ようとしている人よりそれを見ていない、無関心な人がそれが見えない事は当然であります。

それを見ようとしないなら、それは見えてこないものです。

実際に投資家心理を見ている(と自分が思っている)人が、暴落を事前に予測して当てたりしてその種を聞けば自分にも出来そうだなあと思えることだったりしますが、自分はそれを見てないのでそんなものは見えてないとかあったりします。たぶん重要な事を見てないんでしょう。

 

 たくさんものを見ている人はきっとたくさん見えているんでしょう。その先には全知の世界があるんでしょう。

 

ところがどっこい。

全部は見れません。見ようと思っても叶いません。

人にはすべてを見るリソースなんて与えられてないからです。

すべてを見るには世界はあまりに広すぎるのです。こと株式投資の世界に限定しても。

そしてある見えることは他の見えることと矛盾することすらあります。

そこにあるものはみるものが違う人、すべてを見てない、知ってない人が集まり作られるからです。

すべてを見ようとすることは、あるいはたくさん見ようとすることは間違いかもしれないんです。

これはファンダメンタルズとテクニカルという点で言っているわけではありません。ファンダにしろテクニカルにしろ片方だってすべてを見、知ることなんて成し得ないと言ってます。僕たちは一つの会社のことだって全部は知り得ないと言ってます。

だから何を見るか定める必要があります。

自分の見る限り何を見るかを定めていてしっかりそれを見ている人はあんまり酷い結果になってないように見えます。中には傑出した成果を出している人もいるように見えます。そしてすべてを知っていると感じる人も見た記憶がありません。

すべてを見なくても、すべてを知らなくとも結果はでるものです。

定めるとは何か。

たぶん、見ないことを決めることだと思うよ。

それに対しては無関心でいると決めることだと思うよ。

 

あなたが見ると決めたものは何ですか?

そして見ないと決めたものは何ですか?

見るものを決めしっかりよそ見をせずそれを見ていれば結果は結構出るものと思いませんか?

結果を出すのにすべてを知る必要なんて無いんだから。

 

 

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